2014年7月3日木曜日

[歌詞][映像] Two Way Monologue (Sondre Lerche / 2004)


この曲は何よりもPVが秀逸なので、今回は公式PVに字幕をあててみました。ぜひ全画面にしてPVを堪能してから読みすすめて欲しい一曲です。PV版は曲の冒頭と末尾がカットされた短縮されたショートバージョンですので、フルバージョンが聞きたい方はぜひご購入を。


Mum
All the other options that you had in mind starve me
'Cause I'm optionless and turkey-free and blind

ママ
ママの言う他の選択肢じゃダメなんだ
だって僕には他の事は考えられないし、馬鹿だから上手く話せない

"Starve"は「飢えさせる、餓死させる」という意味ですが、ここでは「主人公の欲求が満たされない」ぐらいに捉えて下さい。分かりやすく意訳すると上記のようになります。続く歌詞もちょっと分かりにくいかもしれません。"optionless"は"option+less"で「選択肢がない」≒「他の選択肢では満足できない」、"turkey-free"は"talk turkey"「率直に話す、まじめに話す」から類推するに「まじめに話す」、"blind"は「目が見えない」ですがもうちょっと噛み砕いて「目が見えているのに理解できない」≒「馬鹿」として訳しました。この曲は全体的に直訳だと、意味がつかみにくい箇所が多々あるので、意訳を多様しています。

Pa
Won't you listen and I'll let you in on this
Blind me!
Won't you listen I'll reduce advice to dust
Oh no!
I shouldn't have to spell my name

パパ
ちょっと話があるんだ、これは秘密にしてよ
いや
じつは、せっかくのアドバイスは無駄になりそうなんだ
ねえ!
自分の名前を書く必要はないはずだろ

さて、先のヴァースではママへの返答だったのが、今度はパパへの返答になります。"Blind me!"はイギリスでよく使われる感嘆符です。別に自分を呪っているわけではありません。そして最後には、この曲のサブタイトルとも言えるフレーズ"I shouldn't have to spell my name"が現れます。文法的な解説をすれば、ほぼ"I don't have to spell my name"と一緒です。"should"を使う分断定的な表現を避け、本人の感情「書きたくない」を暗示しています。

Ma!
If it's worth the made up smiles, the quiet fights
Oh mother!
It is hard not to look in the mirror's eye
I have come to this while you have come along
So it's alright if you change your mind the other way around again
I shouldn't have to spell my name

ママ!
そうやってつくり笑いをするなら、僕はもう話さない
だから、お母さん
自分の気持ちに嘘はつけないよ
あなたが考えを巡らせていた間にもう僕の心は決まっていたから
だからあなたの気がまた変わったとしても僕には関係ないんだ
僕は自分の名前をかかないよ

二行目"If it's worth the made up smiles, the quiet fights"ですが、これはちょっと戸惑いました。直訳するなら「その作り笑い(複数)に価値があるならば、沈黙が戦う」ですが、今までの歌詞から考えると両親はなにかを説得しようとしているわけです。それに主人公は反対していると。なので、「あなたがいつも作り笑いをすると、(ぼくは)沈黙で戦う」と解釈。"It is hard not look in the mirror's eye"は「鏡の目を見ないことは難しい」ですが「鏡の目」≒「自分の本心」ということで訳してあります。"I have come to this while you have come along"は「あなたがcome alongしているあいだに僕はcome to thisした」となり、"this"は前ヴァースのパパへの"I let you in on this"の"this"と同じです。つまり「僕の秘密」=「僕の決意」。"come along"は「(あちらからこちらへ)やってくること」ですから過程ですよね。ママが(その結論に)達するまでにもう僕は決意していた、ということです。

So start the two way monologues that speak your mind
We're talking two way monologues with words that rhyme
さあ、意見をお互い独白で話そう
僕らは互いに独白でしか話せない……韻を踏みながら

"monologue"は独白です。会話でなく一人で話し続ける事。つまり意見が平行線を辿っている両親との(特に母親との)議論は、もはや歩み寄りがなく、単なる独白でしかないと言いたいのでしょう。コーラス部の末尾"with words that rhyme"は「韻を踏んだ単語をつかいながら」ですが、その経緯を歌にしていることを語っています。

We
can't reclaim the shirts we threw away last twirl
Uncurl the note-in-pocket, personal brochures that dust
Machine-washed, that's how paper rusts
僕らはステージで放ったシャツを回収できない
つまり、ポケットの中のメモ、つまり洗濯機で洗われてボロボロになった個人的なパンフレットをを元に戻せないだろ?
そうやって紙はダメになる

"twirl"はファッションショーなどでの、中央でくるっと回るあれです。「賽は投げられた」ぐらいに解釈するといいと思います。次の文は命令文ですが「やれるものならやってみろ(できないだろ)」みたいな感じです。

Days you spend wanting some of Michael Landon's grace
strike back, now they shape your life as stony as his face
Oh no! I shouldn't have to spell his name
あなたたちがマイケル・ランドンみたいになろうとした毎日にやり返されて
いまじゃあなたたちの生活はヤツの顔みたいにカチコチだ
ああ、彼の名前なんて書く必要ないだろう?

中央の男性がマイケル
マイケル・ランドンは1936年生まれのアメリカ人俳優です。代表作は「大草原の小さな家(Little House on the Prairie)」のパパ役。日本でも放映されていたので、知っている人も多いはず。おそらく両親は古き良き時代の家庭を築こうとしたのではないでしょうか。しかしその試みは成功せず、形式的なものになってしまった。さて、ここまで何度も繰り返されて来たフレーズ"I shouldn't have to spell my(his) name"ですが、おそらく入学願書的なものじゃないんですかね。親の決めた進学先、就職先は嫌だと。あるいは家庭内誓約書みたいなものか。最後だけ"his"になっていますが、マイケルのことでしょう。彼はマイケルの名前を耳にする事すらうんざりしているのです。

So start the two way monologues that speak your mind
Start the two way monologues with words that rhyme
Start the two way monologues that speak your mind
We're talking two way monologues

さあ、意見をお互い独白で話そう
韻を踏みながら互いに独白しよう
意見を独白すればいいのさ
僕らは互いに独白でしか話せないから……



余談ですが「韻を踏みながら」互いに意見を独白するといわれると、どうしてもラップ・バトルみたいのを想像してしまいます……




We were chasing rabbits on the hill
And that prairie-life was great, but never real
'Cause we never saw no rabbits out there, ever, no, not once
All we did was put a fire up and watch it burn for months
And I miss the sound of stairs and walls and maladjusted doors
and too little space for holding all the soldiers and the war
ぼくらはあの丘の上で兎をよく追いかけたよ
大草原での生活は素晴らしかった、でも現実じゃなかった
だって、僕らは兎なんか見なかった、一度たりも
僕らがした事といえば、暖炉に火をつけてそれが燃えるのを何ヶ月も眺めただけ
今では懐かしく思い出すのは、階段のきしむ音や、家の壁、不釣り合いなドア
そしてあの場所は兵隊たちの戦場としては狭すぎたということ……

最後は詩的で抽象的な歌詞に変化します。ここでの情景描写は「大草原の小さな家」にインスピレーションを受けているようです。マイケル・ランドン演じるフレデリック・インガルスの家では兎を飼っていたようで、ここではその兎が象徴的に扱われています。兎は青い鳥です。つまり両親の描いていた幸福の象徴。ソンドレ・ラルケの一家が大草原の小さな家よろしく、丘の上の一軒家に引っ越したのかどうかは定かではありませんが、暖炉の火を眺めるような退屈なものになってしまったことが歌われています。でも、今となっては懐かしくもある。階段の音、家の壁、そして大草原の家を模した不自然なドアが目を瞑ればありありと浮かんでくる。「兵士たちすべてと、戦争を維持するには狭すぎた場所」は距離が近すぎたために口論が耐えなかった家庭が見えてきます。今では十分な距離があるため上手くやっていけてるのでしょうか。人間関係って難しいですよね。近ければ近いほど。


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